[
掲示板に戻る
] [
一覧表示に戻る
] [
ツリー表示に戻る
] [
▼
] [
現行過去ログ
]
旧バージョンの過去ログ[5]
過去ログ:
5 Page
4 Page
3 Page
2 Page
1 Page
ワード検索:
条件:
AND
OR
表示:
5件
10件
15件
20件
25件
30件
[166]
五人の刀
投稿者:
Nozaki
投稿日:2003/09/20(Sat) 19:40:11
『豊臣関白五腰の刀の主を察せられし事
秀吉伏見にてある日広間に出られしに、五腰の刀を見て、こころみにその名をいわん、とてさされしに違はざりければ、前田玄以、誠に神智のおはし候よ、と驚きたれば、秀吉笑て、何の仔細もなきぞとよ。秀家は美麗を好むが故に黄金を鏤(ちりば)めたる刀是なるべし、景勝は父の時より長剣を好めり、寸の延びたる刀を是にあてたりき。利家は又左衛門と云ひし時より先陣後殿の武功により、今大国を領すれども昔を忘れず、革巻きたる柄の刀、是他の主にあらずと思へり、輝元は異風を好む、異なる体にかざりなせる刀是ならん、江戸大納言は大勇にして一剣を頼むの心なし、取り繕ひたる事もなく、又美麗もなき刀其志に叶ひたり、此を以って察しけるに違わざりけり。と言われけり。江戸大納言は東照宮の御事なり』。常山記談
いろいろな本に引用されておりますが、これが原本のようです。五人とは宇喜田秀家、上杉景勝、前田利家、毛利輝元、徳川家康です。
[166へのレス]
Re: 五人の刀
投稿者:
千手院義弘
投稿日:2003/09/20(Sat) 22:22:40
すごいですね!拵えを見ただけで広間で待っている5人の武将を当てるなんて。さすが天下の覇者!豪快かつ繊細な一面がうかがえるお話ですね。
これで中身までわかればもっとすごいのに。
わかるわけないか。
[166へのレス]
Re: 桃山時代だから・・・
投稿者:
野崎
投稿日:2003/09/21(Sun) 12:48:27
有職故実が崩れ規制が厳しくなる前でしたから自由な刀装があったのです。江戸時代になると鞘が黒の蝋色、出仕の場合は銅鍔、柄は糸巻、柄頭は水牛角、のように規定され、刀預かり場で間違えて他人の刀を持っていってしまわないように苦労したとあります。
[166へのレス]
Re:江戸城内
投稿者:
千手院義弘
投稿日:2003/09/21(Sun) 23:26:30
申し遅れてすみません。はじめまして私は千手院義弘と言います。たまにしか書き込みしませんがこれからもどうぞよろしくおねがいします。さて、いろいろと規制が多くなった江戸時代ですが、城内では大名達が「殿中拵え」と言う鞘の先が丸い脇差をしていたようです。これも厳しい規制の一部でしょうか?それとも大名達が作りだした流行(文化)なのでしょうか?どうぞ教えてください。
[166へのレス]
Re: 脇差の拵え
投稿者:
野崎
投稿日:2003/09/22(Mon) 12:37:06
ご投稿ありがとうございます。
武家故実の参考書を見ますと江戸時代の刀装は麻裃(あさがみしも)着用の場合、鞘は蝋鞘(ろざや・黒漆塗り)、柄頭は角頭(つのがしら・水牛の角)、柄糸は掛巻、金具は目貫・笄・小柄が同一デザインの三所物、糸は黒。大名の鍔は赤銅無地と定まっていたそうです。お尋ねの脇差は江戸時代に懐刀の鞘に似た丸い鞘尻になるのですが、これは別に細かい規定があったのではなく先例先例で決まったようです。
[166へのレス]
Re: 脇差の拵え
投稿者:
千手院義弘
投稿日:2003/09/22(Mon) 22:21:54
お答え有難うございます。
大変勉強になりました。
もし脇差でも買うことがあれば上記の小道具をそろえて殿中拵えをあつらえてみようと思います。
(過去ログ[5]終わり)