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天正十年(1582)6月2日は本能寺の変のあった時です。現在の本能寺は京都市寺町、新京極の近くで昔劇場街、今は修学旅行生の買い物街ですが、本能寺の変があったのはこの西、現在の中京区小川通り蛸薬師元本能寺付近の旧地でした。 日蓮宗本能寺はもと本応寺と言い応永22年(1415)創建、火災と移転を経て天文法華の乱以後この地に再建されていました。 旧地は150×300mに大伽藍が並び立って居たようです。今は西洞院通三条の近く、「此付近本能寺跡」の石碑が街角にあり、その横の旧本能小学校、現在は本能特別養護老人ホーム付近が伽藍の中心地だったようで、ホームの西側に最近の記念碑と説明板があります。工事に伴う発掘で堀や火災の跡、焼け瓦などの出土がありました。 乱の直後に信長と交友のあった阿弥陀寺の清玉上人が火災伽藍の遺骸を集めて荼毘にし、その遺骨を阿弥陀寺に埋葬、「信長公の遺骨もあるはず」との秀吉の引き渡し命令を頑として拒んだと言う伝説もあります。 今の本能寺には宝物館があり、関連資料には「伝信長公佩刀・三条小鍛冶作太刀」など刀剣甲冑の展示もありました。
 
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