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長篠合戦に武田勝頼五月廿一日に人数を出す。信長見給ひ、敵も多勢なり、三万あるべし。と宣(のたま)ふ。家康公仰に、此度の軍(いくさ)、味方勝なり。敵丸く打囲む時は六ヶ敷(むつかしく)、散って人数を多勢に見するは勢を頼みにする間、大方勝なり、と御意なり。酒井左衛門尉、承(うけたまは)って、尤もなる義と感じ奉るなり。(常山紀談)
天正三年(1575)五月の長篠城をめぐる織田・徳川連合軍三万八千と武田軍1万二千の兵が設楽ヶ原で激突。織田・徳川の鉄砲隊に武田側が大敗した時の話です。常山紀談は江戸時代も中期の書ですが、戦国の世に大義と名誉の為に戦い散って行った人々の物語です。
戦国時代の歴史小説は「主君の為には命も捨てる優秀な部下数千、数万を率いて、勝敗は天の定める所、と勇壮に戦う人間たちの歴史」がヒットしたのですが、小説も映画・テレビもいつの間にかこういう世界は描かなくなりました。寂しいことです。
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