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師走も半ばを過ぎました。
京都市山科区の「義士まつり」を見てきました。山科区は大石良雄が閑居し、祇園の一力茶屋に通いながら討ち入りの作戦を練った所、という大石神社があり、京都の赤穂藩浅野家菩提寺である瑞光院が昭和37年に移転してきたゆかりの地、とのことで昭和40年代から町おこしに始めた祭だそうです。東京や赤穂のように映画俳優を招いたりはせず地元の方々だけだそうです。
黒の火事装束に名前入りの白襷の大石良雄以下47人がJR山科駅の北、山科毘沙門堂から出発、瑞光院、駅前通りを南下し休憩・アトラクションののち大石神社で勝ちどきを上げて終了だそうです。毘沙門堂の参道で拝見しました。
ポスターに「協力・東映太秦撮影所」とあり、衣装小道具を提供しているようでした。ただ撮影した画像を見直しますと、槍を持つだけで帯刀していない人、大刀だけでしかも「落し差し」の人がおり、大小を差していても帯の同じ位置に差し大小が平行な人などがいました。時代劇の本場がこれでは・・・。
まあ、昭和30年代までは12月は演劇も映画も『忠臣蔵』でしたが、「史実は集団テロ、仇討ち後に泉岳寺で潔く切腹しなかったのは英雄扱いと仕官を期待していたのでは。しかし全員体のいい死罪。幕府内の権力争いに利用されただけ」、などと言われて消えてしまいます。
「君、君ナラズトイエドモ臣、臣ナラザルベカラズ」、本人の失策で不名誉な死に方をした暗愚の主でも忠臣なら命を捨てて復讐の義務があるという忠道の実行、とか「俺の目を見ろ何にも言うな、男同士の胸の裡・・・」とかの世界も遠い昔。時代劇そのものが滅びつつあると思いました。
来年もいい歳でありますように。
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