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雨続きの東日本と猛暑の西日本だった夏も終わりました。
「刀剣=五行では金・秋」を追いかけていましたら平安時代の『和漢朗詠集』が出てきました。「将軍」の詩歌の中に 「雄剣在腰 抜則秋霜三尺。雌黄自口 吟亦寒玉一声 順」 雄剣腰ニ在リ 抜ケバ則チ秋ノ霜三尺。雌黄口ヨリス 吟ズレバマタ寒玉一声。 源順(みなもとのしたごう)の漢詩で、将軍とは腰に名剣を携え口には雌黄(文書修正液)を含み義に違うことを許さない」という位の意味です。
岩波日本古典舞楽大系の注釈には「雄剣=干将が雌剣雄剣を鋳造した(呉地記)。秋霜=呉の季札の剣は三尺、霜雪の如く氷の如くであったと言う」とあります。 呉の季札(きさつ)は『史記・呉太伯爵世家』に見える春秋時代の呉の王子で、友人の欲しがっていた名剣をその死後に墓の木に掛けて去ったという故事で有名ですが、青銅器時代末期の話ですし、『史記』には「霜のごとき剣」は出てきません。
幕末の国学者・歌人の橘曙覧が刀を贈られた時の歌に 抜くからに身を寒くする秋の霜 心にしみて嬉しかりけり とあり、土井晩翠の『荒城の月』二番の「秋陣営の霜の色」も秋霜=刀=植うる剣と対応させた言葉だという説もありますので、刀を秋霜とすることは一般にも周知だったようです。
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