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雑感 怠龍斎 - 2009/10/16(Fri) 21:49 No.1838 | ||
皆々様今晩は。大分ご無沙汰を致しております。 先日刀友が北海道より遊びに来まして、余り縁起のいい話ではないのですが史跡巡りをとの事で、鈴ヶ森と板橋の刑場跡を周って来ました。 先入観かもしれませんがどうも冷たいような寂しいような嫌な感じの場所です。 板橋はJRの駅前ですが、以前修学旅行の女子中学生に道を聞かれた事があります。 駅前ですから教える程のことはないのですが。NHKの大河ドラマでは小川があってそこで近藤さんが斬られていましたが、小川は多分今も昔もないかと思います(笑)。 そういえば日本政府としての最後の斬首刑で山田浅右衛門が用いたのは、泰龍斎宗寛だったそうですね。親交があったという話は伝わっています。 つまらない話ですが少し宗寛について述べますので、興味のある方はご覧下さい。 先ず姿が悪いとよく言われますが、反りの浅い上に中切先だからだと思います。 寸詰まりのような。鍛えはよく木目と書いてありますが小板目に地沸が全面に付きます。 それに虎徹の様に元に大肌が入る物が多いです。 映りは隷書になってからです。 作風は諸刃の末備前のような短刀から普通の短刀、袋槍から長巻、脇差、衛府太刀用の直刀まで幅広いです。 映りは基本的に横目映りと言う焼頭から鎬に真っ直ぐ立つ映りですが、写し物には乱れ映りもあります。大宮そっくりです。 刃文は丁子と互の目以外は直刃位です。 彫は「同作」と入れる場合が多いです。 宗次の小竜景光写しの彫が宗寛なので有名になりましたが、真の彫が多い気がします。 なお、銘に「一」の字を入れることもあります。 これは短刀が殆どで長い物は経眼しておりません。 弟子は息子の寛次、甥の寛重、それに宗貞等々います。 親族が「寛」で、本当の弟子は「宗」だったんでしょう。 寛次は洋鋏やバリカンを廃刀令後に作り、現在は山形の方で御子孫が「宗寛の鋏」として作っています。三千円弱から買えます。 宗寛は意外な事に古河藩の勤皇系の家老に雇われていて、廃刀令後は下屋敷に住み、藩主の飲み友達だったそうです。 最後は飲みすぎによる胃癌で、下屋敷近くの現文京区染井霊園内の勝林寺に埋葬されています。 「阿武隈川家」とあります。本名は大野平蔵なんですがねぇ。 ちなみに私も飲みすぎによる肝臓障害です。 伊藤三平様の統計に拠っても、相当数が残っているようですが、余り売品には出会いません。 ある刀剣商さんが言うには、「写真写りがよいので、目録の表紙にするのにいい。」とのことです。 一応刀で250万円以上なら大丈夫と思いますが、偽物も「刀の偽銘(光芸出版)」とかに出ているので油断はできません。 ネットで一軒でていました。刀と短刀の大小です。 長運斎綱俊と同ランク位なので、浪人とかの持てる刀ではなかった(長運斎の打ち下ろし脇差で自筆の納品書が付いているのが残っているそうですが、17両との事でした。宗寛もその位はしたでしょう。)はずですからこのような大小になったのでしょう。値段から見ると安いと思います。 但し三点問題があります。 一つは師の宗次が最近大分安いので、宗寛も思った以上に下がっているのか。 二つ目は大が少し刃文が大雑把。 三つ目はやはり傷と真贋でしょう。 こればかりは現物をみないとおっかなくて何とも言えません。 一箇所見所があるんですよ、宗寛は中心に。 手癖ですね、これは。此処を触れば上はどうでもいい位です。 長巻の長大な中心にも上から下まで出ています。 先月少々入院を致しまして、来月も入らねばならないようですので、親と弟が蔵刀の処分の話なぞをしているので(笑)、手元にあるうちに興味のある方にお伝えしようと思い、全く以って駄文を投稿致しました。 お許し下さい。現在宗寛は5振りと弟子が1振りあります。 お気を悪くされましたらお詫びいたします。 また宜しく御願い致します。 怠龍斎 |
Re: 雑感 こてつ。 - 2009/10/16(Fri) 23:17 No.1839 | ||
怠龍斎さん、どうぞお大事になさってください。 僕は8年ほど前まで板橋の近くに住んでいました。 刑場に関しては諸説あるみたいです。 現中山道(17号線)沿いの某大手銀行(今も建物があるかどうかは不明です)近くに刑場があったと聞いたことがあります。あの付近の川というと石神井川ですが…その支流でもあったのでしょうか。 僕が板橋に引っ越した頃は近藤募辺りも地味でひっそりして目立たない存在でした。 大河ドラマやらゲームや漫画の影響でしょうか、新撰組祭りなんてのも最近ではあるみたいです。 コスプレしに全国からファンが集まるみたいです。時代ですねぇ。 |
Re: 雑感 怠龍斎 - 2009/10/17(Sat) 11:46 No.1840 | ||
こてつ。様、ご心配をお掛け致しました。 大学入学以来丁度20年の節目に当たり、肝臓がエンコしたようで、自爆です。 板橋にお住まいだったのですか。 区役所に行くのにかこつけてあの辺をフラフラしていました。刑場といっても狭くはないでしょうから、中仙道まで地図上で300mですからあの一帯が刑場だったのでしょうかねぇ? 鈴ヶ森も一度に十何人磔にしたという記録もありますから。 支流らしき物も地図上では発見できました。現地では気がつきませんでした。嘘を書いたみたいで反省です。 お祭りの件は存じませんでした。面白いですね。 文春文庫より「浅田次郎 新撰組読本」と言うのが出ており、面白い本なのですが、その中で浅田さんの住まれているのが日野の高幡不動の方で、ここは土方さんの銅像等々がありますが、やはりお祭りをやっていて東京駅から新撰組の格好で歩いてくる人なんかがいると書いてあります。 私は門前のお土産屋さんで売っている「誠」の文字の焼いてある瓦せんべいが気に入りで、行くと一杯買ってあっちこっちに配ります。 浅田さんは斉藤一がどうも好きらしいですね。 さておき板橋ですが、近藤さんの石碑の横に本棚があり、書き込みノートが入っていました。 どうみても若いというか女の子の字で「近藤さんどうして死んじゃったんですか?」みたいなのがいくつも書かれているのが印象的でした。 1人の時は缶ビールをかけて上げて一緒に飲む?位で本棚には触りませんでしたが、刀友が読み始めたもので。 「どうして?」は近藤さん本人が一番言いたかったんではないかな?と。 お互いに勉強ですね。 また気楽にお付き合い下さい。 お待ちしております。 怠龍斎 |
Re: 雑感 波平 - 2009/10/20(Tue) 23:57 No.1841 | ||
怠龍斎さん,初めまして。こてつ,さんこんばんは。 板橋と聞いて書き込みをさせていただきます。 西巣鴨で生まれ25年ほど住んでいた私にとって,板橋の駅前までの旧中山道は日々の散歩道でした。現在整備されていますが,当時はまだ墓の周囲は生け垣でした。新選組血風録の頃に「栗塚旭」の名前で木製の慰霊碑があったのを思い出します。近くにあった漬け物屋の台所付近が斬首の現場と地元では伝えていました。近くの滝野川は「種は滝野川」と言われた野菜の種子で有名で,現在もある榎本種屋の自家出版本に曾祖母が近藤勇の処刑を見学した様子が書かれています。斬首の直後,身体が「箕」のように倒れたということで,その店では箕を立てかけないようにという家伝があるそうです。地元の話でつい長くなりました。 板橋区〜北区のあたりは散歩をすると楽しいところです。旧板橋宿の寺には遊女の墓石もあり,私の子供の頃には「都荘」というアパートの建物がかつての遊郭でした。亀の子たわしの本社もありますし,王子まで足をのばして鬼平の気分に浸るもよし。一度皆様おそろいでそぞろ歩きを楽しみたいものですね。 |
Re: 雑感 真改 - 2009/10/21(Wed) 08:18 No.1842 | ||
昨夜の、なんでも鑑定団を見ていたら、板橋の近藤と土方の墓が映っていました。 肝心の鑑定品は、近藤と土方の有名な写真の当時の複写写真ということでしたが、150万円の評価がありました! 最近、戦国時代と幕末のテレビドラマも多く、子供たちも興味津々で見ております。 私たちの70歳の空手の師範も、土方のファンで、いつも子供たちに話をしております。 来年の大河ドラマも竜馬ということで、戦国と幕末のマイブームは、しばらく続きそうです。 |
Re: 雑感 波平 - 2009/10/21(Wed) 12:55 No.1843 | ||
真改さん、私も昨夜の鑑定団をみました。本当に幕末は興味がつきませんね。板橋のお墓の左右の側面に刻んである隊士の名前は「戦死」「事故死・病死」で区分されています。材質が脆いせいか判読しにくいものもあります。親戚が駅の近くでレコード店をやっていましたが、その店のことを「こてつ」さんがご存知だったとうかがい世間は狭いと感じました(^_^) |
Re: 雑感 こてつ。 - 2009/10/21(Wed) 14:19 No.1844 | ||
板橋界隈のことは波平さんの方がお詳しいですね(^-^)。 件のレコード屋さん、今は洋品店になっていたと思います。 その近く、左の道を少し入った所に美味しいラーメン屋さんがありますよ。 そういえば来年の大河ドラマはまたしても幕末、しかも龍馬! 福山雅治はタッパもあるしかっこいい龍馬になる事まちがいないです。 新選組も当然出てきますね。 刀剣に興味を持つ方が増えてくれるといいですな〜f(^-^; |
Re: 雑感 怠龍斎 - 2009/10/22(Thu) 21:37 No.1845 | ||
波平様、こちらこそご返信を戴き有難う御座います。こてつ。様も。 波平様、正直申しまして、ご返答に詰まりました(笑)。司馬○太郎さんや浅田○郎さんが見たら、何て言うかなと(大爆笑)。本当に貴重なご意見を有難う御座いました。勉強になります。自分如きが意見をできませんねぇ(笑)。それで返信が遅くなり恐縮です(謝)。赤心よりお礼申し上げます。なにかイメージがわきますね、「そうだったのかなぁ。」と。 先だって述べました浅田次郎さんの「新撰組読本」で、黒金ヒロシさんとの対話の中で笑う話があります。沖田は強面で長身、陰鬱。でないと一番隊長は勤まらないって。写真がある土方は若しかしたら美男子だが、口を開ければ「味噌っ歯」で興ざめって(笑)。勿論鑑定団を観て高くて驚きました。 これは本当か判らないので戯言にして戴きたいのですが、竜馬の愛刀の写真があり、綺麗に鞘ごと斬られています。確か土佐吉行ですよね。しかして斬られ方が「逆」なんですよ。居合の有段者の自分から見ても「え〜???」です。浅田さんが「壬生義士伝」で斉藤一が左利きという事を主張したのもそれかなぁと。確かに「逆」です。大久保から言われて伊東が・・・というのはありえそうですね。NHKがどうでるか(笑)。 勝手な事をいつも申しておりますが、また宜しく御願い致します。私個人としては越後長岡藩の河井継之助の信奉者です(笑)。 怠龍斎 |
Re: 雑感 波平 - 2009/10/23(Fri) 23:21 No.1846 | ||
怠龍斎さん ご丁寧な挨拶を頂戴いたしまして,こちらこそ恐縮しております。地元に伝わるお話と子供の頃から見慣れた風景をご紹介しただけでございます。固山宗次はかつて所持していましたが宗寛は何故あんなに高額なのかといつも思っていました。 新選組には高校生の頃から思い入れがあります。又いろいろとお話を伺えればと思います。どうぞお身体を大切になさってください。こてつ,さん。大刀剣市でお会いできるのを楽しみにしています(^^) |
Re: 雑感 怠龍斎 - 2009/10/25(Sun) 19:16 No.1847 | ||
波平様、今晩は。こちらこそ痛み入ります(謝)。 宗次をお持ちだったのですか?自分は小刀を所持しております。 新撰組、良いですね(笑)。「壬生義士伝」を読まれましたか? 「新撰組血風録」中にも3行ですが吉村貫一郎の記述があります。格好良いですよね。自分もあんな風に活きたいなぁと(笑)。 浅田さんが言っていますが、近藤さんとか土方さんは若死にですよね。「10年」位今の若者よりも貫禄があると。39歳の私は耳に痛いですね(笑)。 又気楽にご意見を戴きたいと思います。今後とも宜しく御願い致します。 怠龍斎 |
Re: 雑感 怠龍斎 - 2009/10/29(Thu) 20:22 No.1848 | ||
皆々様今晩は。 蛇足を致します。 地金の話を致しますと結論が出ませんので、逃げさせて戴きます。最近お昼に「子連れ狼」をTVでやっていまして偶に観ます。「同田貫」なんですね、刀は。兵部さんが上手いかなと思いますが、如何なんでしょう?お好きな方には申し訳がありませんが、少し白んでいるかなぁと。本当にお好きな方には申し訳がありませんが、「硬そう」です。先日購入しました関の軍刀はやはり硬そうです。ただ、居合いで試斬をしたのも関の軍刀でしたので、硬いほうが斬れるのかもしれません。宗寛は「軟らかくて粘りがあり」ます。一見硬そうな千子一門も同じような地金だったと文章で読みました。満州で日本軍が実験をしたそうです。フィリピンでもやったそうですが。満州では正宗や備前刀が軟らかい代表だったみたいです。折れずに曲がるから残っているのかと専門家は言っています。「戦う日本刀」という本です。古書店で二千円位ですかね。故山本七平さんの本も好きで読みましたが、斬れない方の主張ですね。まぁ、機関銃なんかは絶対に斬れないと思いますが大体鉄で鉄が斬れませんよ。 浅田次郎さんは斉藤一の愛刀が忠綱一派と言っていますが、如何でしょうね?近藤勇の虎鉄や沖田総司の菊一文字は冗談でしょうけど、土方歳三の会津兼定は恩賜の記録があるので(司馬遼太郎さんの燃えよ剣「の定」ではないですよ。)間違いないと思いますが。でもあの刀剣店は実在です。芝日陰町の刀剣店は。実はその付近に以前住んでいました。ちなみに言うと「遠山の金さん」の実邸の庭先にも当たりますね。歴史は面白いです。汐止めの方ですね。 いつも勝手に意見を申してすみません。また。 怠龍斎 |