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初心者の為の偽物講座
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1.偽物の背景
a)経済的利益を得る為の偽物=一番多い。(時代を問わずにある)
b)江戸時代大名家など家柄によって所持しなければならない刀があった
=例えば正宗(本阿弥家の折り紙・代付け)
c)偽物目的で無い物が偽物として利用されている物=奈良刀・古刀の写し物。
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2.偽物の種類
a)大摺上げ無銘刀の極め物=当然古刀に多い。
(新刀以降は基本的には有り得ないから)
b)生ぶ茎無銘刀の極め物。
c)在銘刀の偽物=偽銘。
d)折り返し銘・額銘・継ぎ茎の偽物=銘は正真、上がちがう。
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3.時代別の特徴
a)古刀の偽物
・大摺上げ無銘物で上位刀工に極めたり、時代を上げたりして極めてある物。
・折り返し銘や額銘で銘は良いが上が違う物。
・正真の茎に違う刀身を継いだ物=継ぎ茎。
・慶長新刀や新々刀を研ぎ減らし、古刀に極めた物。
(例えば、出羽大掾国路の志津・仙台国包の保昌・勝村徳勝の保昌など)
・一派の後代物に偽名を切った物。(千子一派の村正など)
b)新刀の偽物
・時代偽物=同時代に有名刀工の偽銘を切った物。(虎徹・真改など)
・道中差しなどに人気刀工の銘を切った物。=単純な物でわかりやすい
・新々刀の茎を直しそれらしい偽銘を切った物。(尾崎助隆の助廣写しなど)
・大摺上げ無銘物は比較的少ない。(摺上げ在銘はある)
c)新々刀の偽物
・時代が近い為に茎の錆など比較的真似やすく、精巧な物が多い。
・専門家でもだまされるほどの物がある。(左行秀など)
・生ぶ、在銘の物が多い。(新々刀は特に生ぶの状態を要求される為)
・有名刀工、人気刀工のものが当然多いが、名鑑漏れをねらったような物もある。
・現代刀の比較的出来の良い物を材料とした物が多い。
d)現代刀の偽物
・偽物の数としては少ない=あまり利益にならないから。
・有名刀工にほぼ限られる。(宗勉など)
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4.認定書・鑑定書・鞘書きについて
・認定書=日刀保が昭和23年より始めた。昭和25年より特別貴重、
昭和48年よ り甲種特別貴重。
(一時、いいかげんな物やにせの認定書が出回った)
・鑑定書=日刀保が昭和57年に制度を変え、保存・特別保存の鑑定書とした。
その他、日本刀保存会、個人鑑定=藤代松雄・得能一男・柴田光男
・鞘書き=白鞘に直接書いた物で鑑定と同じ。
本阿弥光遜・本間薫山・佐藤寒山(いいかげんな物がある)
(鞘書きのにせ物もある)
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5.偽物のチェックポイント(だまされない為のアドバイス)
・本当に精巧な偽物は素人には見分けは無理。
・値段が中途半端な物は気をつける・良い物はそれなりに高価である。
・掘り出し根性は禁物、自分だけ運が良いなんてことは無い。
・中途半端な知識は一番危険。掟通りの物にはまる。
・最近では昭和27〜28年頃に新刀・新々刀の偽物が盛んに造らた。
※チェックポイント
・大摺上げ無銘刀は難しい。(よほど慎重に)
・時代をごまかされるな。(写し物を利用した偽物)
・金象嵌銘・朱銘などにごまかされるな。
・銘をみてバランスが悪い物、なんとなく力がない物=慣れてこればわかる。
・特徴のある銘ほど真似やすい(村正など)又、草書銘は真似やすい。
・茎の錆・目釘穴の錆に不自然なところはないか。
・茎の錆と銘の中の錆色が違う物は注意。
・茎のやすりがへたな物=名工は茎仕立てもうまい。
以上である。
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初心者の為の偽物講座・『写 し物』と『偽物』の違いは?
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『写し物』とは、本科(手本となる物)を忠実に再現した物で、慶長新刀期の古刀写しが
よく知られています。 (国廣の貞宗写し、出羽大掾国路の志津写しなど)
新々刀期にも古刀の写しが盛んに行われ、例えば清麿が左文字写しの短刀などを造っています。
又現代刀はこれまた写し物のオンパレードとも言うべく、鎌倉太刀の写しから虎徹・清麿写し
まで、なんでもありの状況です。
この例でも解るように本来『写し物』とは、先達に私淑した刀工がその作風を真似て造った
物で、 作成された時点では純粋な物であります。
問題は、この写し物を利用して銘を消して茎を加工したり、 多少研ぎ減らしたりして本科
そのものとして通用させますとこれが『偽物』となるわけであります。
そんな訳で、刀が偽物となるかどうかはこれを扱う人間の良心にかかってきます。
蛇足ですが美術工芸の世界では、「写しは決して本科を超えられない」事は常識中の
常識になっております。
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業物位列は信じられるのか?
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業物の位列が最初に作られたのは寛政九年の『懐宝剣尺』で、最上大業物を筆頭に248名が
挙げられております。
但しこれは、最上大業物を除けば代表的な刀工を載せてあるに過ぎず、その他は一般的に
佩刀に用いる事の多い 新刀が主となっています。
その後、首切り役人として有名な山田浅右衛門が『懐宝剣尺』を訂正・追加して
『古今鍛冶備考』を著し 1,111名を挙げております。
全てを試したとは考えられず、永年の経験で観刀のみで決めた物も ありましょうが、
職業上少なくとも何分の一かは実際に試し斬りをしたことは間違いありません。
従って、100%とは言えないまでも、そこそこ信頼できると思われます。
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槍や刀の樋に朱が塗ってある物があるがどうしてか?
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朱色は中国で殷の時代より建物の装飾に使われ、わが国でも寺院建築や鳥居に塗られています。
朱が特殊な色として使われるのは宗教的な意味があり、朱には降魔(ごうま=悪魔を降伏させる
こと)の 力があると考えられていたからです。
槍や刀にも朱を施した物があり、通常は樋の中に塗られています。
又朱塗鞘や甲冑に朱色が用いられて いるのも同じ意味であります。
刀の樋に朱が塗られている物があることからか、刀の樋は血抜きの為に有ると
思っている人があるようですが これは間違いで、樋は刀の重さを軽くする為の
ものであります。
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[5]焼刃の高い刀は折れやすいって本当か?
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刀の刃の部分は地に較べて硬いことは間違いなく、硬いということは脆いことに通じます。
従って 焼刃の低い刀に較べれば折れやすいと一応は言えると思います。
古来、斬り合いのなかで刀と刀が当たった際、焼刃が高い刀が折れたとか、落馬した時に
新刀の 派手な刃文の刀が折れたとかの話は残っているようですが、焼刃が低いから折れた
という話は残って ないようです。又、新々刀の巨匠水心子正秀は初め大阪新刀のような
焼刃の比較的高い派手な刃を焼いて おりましたが、これが折れやすいことに気付き、
復古刀論を唱えてからは焼刃の比較的低いものを製作しています。
但し、これは相対的な事であって焼刃の高い刀が実用に耐えないかどうかは
又別の次元の話でしょう。
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[6]小太刀は何のために造られたのか?
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小太刀は何の目的で造られたのかは、確固とした定説はありません。
常識的には、脇差と同じく室内で使用する為と考えられますが、もう一歩突っ込んで、当時公家が
牛車(ぎっしゃ)の中で佩いたという見解があります。
現存する小太刀は比較的高名な作者の物が多く、これはやはり位の高い公家等からの注文打ちで
あることは間違いないと思われますので、先の見解もなるほどと納得できる面があります。
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[7]古刀・新刀・新々刀、どっちがいいのか?
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このことは特に初めて日本刀を持とうとする方が迷われる問題だと思います。
結論を先に申せば、各々長所・短所があり後は個人の好みにかかるものでしょう。
古刀はなんと言っても何百年という年月を経てきたものであるだけに、それ自体に歴史の
重みを感じることができます。又、一般的には製作地の特色が良く現れたものが多く、
造り込みや地鉄に特色があり、刃の働きも多いと思います。但し、永年の間には幾度か
研磨されたり、 損傷したりしておりますので健全さでは多少難がある物が多いことも確かです。
一方、新刀・新々刀はその健全さがたまらない魅力と言えます。但し、刃の働きや地鉄の
面白さは 古刀に一歩譲らざるを得ないと思います。以上のような事を踏まえ自分の好きな、
こだわりの刀を 所持されるのが良いでしょう。
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[8]古刀の短刀はなぜ目釘穴が二つ以上あるものが多いのか?
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短刀は古刀期には多く造られ、新刀期に入ってからは少なくなります。
そして、新々刀期には又盛んに造られています。
さて、目釘穴の事ですが確かに古刀の短刀は生ぶ茎でも目釘穴が二つ以上あるものが多いようです。
これは、こしらえを製作するに際し、元の目釘穴では具合が悪い場合に新しくあけたものです。
時代と共にこしらえにもその時代の流行があり、又個人の好みにもよって色々な物が製作された為、
実用に合わせてあけられたもので、現在ほど目釘穴の数にこだわらなかったものと思われます。
でも今考えると、なんともったいない!
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[9]なぜ新刀に短刀が少ないのか?
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新刀に短刀が少ない理由は幾つか考えられると思います。
第一に正保年間に刀の大小の長さが決められ事。
第二に新刀期に入っても古刀の短刀が多く残っており、新しく製作する必要が
無かったと 思われる事。
第三に本来短刀は、相手の首を掻く為などに用いられたと思われ、江戸時代に
入ってからは平和な時代が 続いた為需要が無かったものと思われます。
需要があれば供給が伴うのは経済の原則であり、今も昔も変わりません。
尚、幕末には復古刀が流行した為か短刀の製作も比較的多くなります。
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[10]品のある刀とは何なのか?
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これはある意味では大変難しい質問です。
なぜなら、人間一人一人感性が違っており、品があると感じるかどうかは個々の感性によって
異なると思うからです。
このことを理解する最短の方法は、あらゆる機会に古来名刀と言われる物をできるだけ数多く
見る事だと思います。個人的な好みはともかく、永い歴史を経て名品として残されてきた物に
品の無い物はありません。
一般的に申せば、先ず姿が良いもの、次に地鉄が精良で落着いた感じのもの
( 鍛えの種類には関係無く)、
又焼刃が刀身の姿に良く合ったものであると、等がポイントでしょうか。
全体に凛として清清しさを感じるものと表現しておきましょう。
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[11]映りはどうして出るのか?
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映りと言えば古刀の備前刀がよく例に出されますが、備前物のみでなく山城物にも大和物にも
又美濃物にも映りが出ているものがあり、一つの見所となっております。
さて、どうして映りがでるのか、偶然出たものなのか人為的に出せるのか、良く解らないという
のが本当のところです。従って現代刀にはまず映りが立った物は見うけられません。
備前刀などは 一度焼き入れした後焼き戻したことにより映りが出たとも言われています。
私の考えでは、最初は偶然に出たものであるが後々は人為的に映りを出したのであろうと思います。
偶然の所産に美を見出し、これを人為的に表すことは刀剣のみならず
陶器の世界でもよくある事です。
※映りについての大王の見解
結論から言って、映りは刀の斬れ味には関係がない。 もし、備前刀のように焼き戻しした
ことにより映りが出るのだとすれば、焼き戻し自体は、逆にあまり 刃が堅くては脆いので、
ねばりを出そうとしたものである。 従って、刃味には関係無いと判断するのである。
又、現代刀匠では、他に物故した人間国宝の隅谷正峯氏が備前伝を焼いて映り出した。
何れにしても、大変な苦労であったと言う事を聞いている。
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[12]再刃をどうして見分けるのか?
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美術刀剣と言ってこの面を異常に大切にする現在の風潮では、再刃の刀は生ぶの刃では無い為
無価値とされていますが、現実に武器として使用していた戦国時代は損傷した刀を再刃して
使用することは特別なことではなかったようです。
さて再刃の見分け方ですが、いくつかのポイントがあります。
1)はばき元に水影が立つことが多い。
※注:水影=焼き出しの端から棟の方に向かって現れる白い影)
2)地鉄がチリチリした感じでなんとなく落着かない。
3)刃がうるんだ(匂口がはっきりしない)ような個所が目立つ。
4)棟焼きが現れることもある。
5)焼落としとなっているものがある。
6)再刃は直刃に焼いたものが多い。
※但し、古い時代の再刃は非常に見分けにくいものもあります。
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[13]脇差より短刀の値段が高いのは何故か?
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脇差は本来大刀の添え差しであり、しのぎ造りのものが圧倒的に多く大刀をそのまま短く
したようなものが多い、従って、ある意味では中途半端な感を免れないのではないかと思います。
(見所などが共通してしまい個性が無い)
この点、短刀は平造りが多く(一部菖蒲造りなどもあり)、又用途も全く異なる為独自性が
強いので、 人気があるものと思われます。従って平造りの小脇差(寸延び短刀)は短刀の
値段に準じられています。 但し、脇差は大刀より造りやすいことや裕福な商人よりの
注文打ちもあり、出来の良い物も多く決して 軽んずることは出来ません。
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おまけ 談話「小雀丸」
江戸城の大名溜に詰めて、将軍の謁見を待っている各地の大名小名。待ち時間はヒマで
結構雑談を したらしい。しかし、話題は当たり障りのないことに集中するから、
ヨイショもかねて互いの脇差しを 鮫皮の親粒が見事だとか、目貫は代附け何貫だとか
誉めあっていたという。 中身の鑑定鑑賞会はやらない、 できない。鯉口切ったら
忠臣蔵になってしまう。
ある大名が伊達政宗に話しかけていわく、
「伊達殿のお腰の物は、さだめし正宗でござろうの。」
と、オヤジギャグを飛ばしたつもり。ところが老いの一徹の独眼竜、指しているのは
違ったが高位の正宗を 持っていないと思われるのがシャクでニコリともせず、
「いかにも正宗でござる!」
で、その座はシラ〜。おそらく仙台国包あたりだったのであろうが、士分ともあろう者が
話の流れでウソを ついてしまった。
納まらない伊達政宗、藩邸に帰るなり腰物掛りを 呼びつけ
「正宗の脇差しはあるか!」
「いいえ、ございませぬ。太刀ならございます。」
「摺り上げて脇差しにせよ!」
在銘だったか極め物だったかその正宗の太刀を脇差しに摺り揚げ、それを指して
意気揚々と登城したという。 もっとも「ほらほら、正宗だよ。」と自慢したわけが
ないから他の大名は「今日の伊達殿はやけに機嫌がいいな…」
くらいにしか思わなかったかも知れない。
おしまい、おしまい。
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[14]女性の刀鍛冶はいないのか?
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永い歴史のなかで確かに女性の刀鍛冶の話は少ないと思います。鍛冶の仕事は重労働である為、
家事をするような わけにはいかないからでしょうか。それとも鍛冶場は相撲の土俵のように
女人禁制なのでしょうか。
では全くいないかと言うといるんです。女国重と呼ばれた女傑が。
頃は天明年間、備中水田の流れを汲む鍛冶で、大月女源 備中荏原住国重と銘を切った短刀が
現存しております。
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[15]裁断銘のある刀は本当に斬れるのか?
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裁断銘は試し斬りの結果をその刀の茎に金象嵌入れたり、切りつけしたりしたもので、
新刀期に入って流行しました。
特に江戸新刀に多く虎徹・康継・安定等の刀によくみられます。
江戸期になって実際の戦いはなくなり、刀の斬れ味を試す機会が無くなった為に必然的に
盛んになったものでしょう。
そして、この裁断銘を刀工は格好の宣伝材料に使いました。
現存する物を見ますと二ツ胴・三ツ胴の裁断はあたりまえで、中には七ツ胴裁断という
ようなものまであります。
誇大広告は世の常であり全てが信じれるとは思いませんが、この裁断銘は相当費用が
かかったこともあり、 比較的有名刀工の作品が多い事は事実です。
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おまけ 談話「小雀丸」
元禄十一年霜月のこと、会津公は藩工であった孫右衛門兼定と藤四郎長道の二名を
召し出し、各々が鍛えた刀で 試斬りを催した。試斬の対象は一束の真綿であったが、
兼定は見事にこれを両断して上々の首尾であった。
ところが長道は斬り損じてしまい、おおいに面目を失って御前から退散した。
悄然と城門を出た長道はふと門前で立ち止まると何を思ったか、やにわに抜刀し
城門に打ち付けてある 乳輪(鉄の輪)に斬り付け、これをまっぷたつにしてしまった。
長道はその刀をお堀の中に投げ捨て、 三善家の菩提寺へ赴くや先祖の墓前で切腹して
果ててしまったのである。会津公は長道の死を惜しみ、 隠居していた利右衛門政長に
三善家の家督を継がせたという。
以来、城下の人々は兼定を真綿斬り、長道を鉄斬りと呼んだそうな。
おしまい、おしまい。(高橋弾正「会津の刀剣」より)
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[16]差込研ぎってどんな研ぎ?
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差込研ぎとは、研ぎの最終段階でぬぐいをかけたままで刃取り(刃艶で刃文を拾うように
して白く研ぐ)を しない方法です。この方法ですと本来の刃文が忠実に現されるという
長所がありますが、刃取りをした物に 較べると派手さが無く、若干淋しい感じに仕上がります。
昔の数寄者の中には、差込研ぎこそ本来の研ぎであるとしてこだわる人もいたようですが、
現在では この差込研ぎが出来る研師が少なくなったこともあり、あまり見かけなくなりました。
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[17]之定に二代があるというのは本当か?
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美濃の兼定二代を之定と呼んでいるわけですが、この之定銘を名乗る者が数名いたようです。
和泉守を受領した之定を基本としますと、明らかに銘振りが異なる之定銘の刀が何本もあり、
藤代刀工辞典では当初之定銘の初期銘(楷書銘から之定銘に変わった頃)としておりましたが、
後にこれを之定二代(弟子)として区別しております。
私の見解も同じく、之定二代銘は意識して初代と変えているようなところがあり、
弟子とみてよいのではないかと思います。
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※続_閻魔大王基礎講座について>「日本刀剣電脳倶楽部STAFF」
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この一連の基礎講座は「討論掲示板」において閻魔大王様が開かれたものであり、ご厚意により
コンテンツ化させていただいたものです。続編を期しておりましたが、中途で論争が始まり
、諸事情で中断を余儀なくされておりました。現時点では討論掲示板は再開されており
更なるご講義を期しているところであります。貴重なご講義をお寄せ頂いた閻魔大王様、及び
小雀丸様初め諸先生各位様には、深く感謝申し上げます。STAFF
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