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元治元年六月五日(1864年7月8日)は池田屋事件のあった日です。 前年八月十八日の政変で勢力を失った京都の尊皇攘夷派の集会を新撰組が襲い、貴重な人材を失い明治維新が5年遅れたという悲劇でした。
新撰組は局長近藤勇、沖田総司、永倉新八ら5人で斬り込み、互角の斬り合いの中に土方歳三、斎藤一らの別働隊がかけつけ形成逆転、勤王方は自刃・斬死など死者9人、捕縛4人と言われます。
興味深いのは多人数による屋内の戦闘だったのに刀剣が武器で銃火器が使われた記録がないことです。ある意味で最後のサムライ同士の戦いだったのかも知れません。
所で旧暦六月といえば京都の町衆には祇園会の月。江戸時代の京都の歳時記の六月は祇園会関係の行事で一杯です。それで映画やテレビドラマでは祇園山鉾巡行の宵山、駒形提灯と祇園囃子で賑わう中を行く新撰組の場面を出すことがありますが、宵山が賑わうのは明治以後、まして5日では会所から祇園囃子の練習が聞こえる程度だったでしょう。
そう言えばコロナで祇園祭も規模縮小。山鉾巡行と宵山の賑わいが戻るのはいつでしょうか? |
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