|
『南総里見八犬伝』の作者曲亭(滝沢)馬琴(1767-1848)は博識多才で読本の他にも多くの著作がありますが、文化八年(1811)に本名の滝沢解の名で発表した随筆『燕石雑志』に「鬼神余論」として、中国の「鬼神」と日本の「おに」の違いについて解説しています。
『鬼滅の刃』ヒットの時中国古典研究の方々が「鬼を滅ぼす、とは日本だけでしか通用しない言い方。国際化の時代にアジア諸国から誤解されないか」と危惧していましたが、儒学の盛んだった江戸時代に既に注意されていたようです。その中に、
『昔は妖賊を鬼とも変化とも言へるなるべし。世俗これを誠の鬼なりと言ふはたがへり。物の醜悪強大なるものをすべて鬼といふ。これ本邦の故実か。草花に鬼百合、鬼薊あり。酒、煙草、唐辛子に鬼殺しの名あり。馬に鬼鹿毛あり。剣に鬼切、鬼丸あり。軍書に鬼神と言はれたる某を討ち取りぬと・・・誠の鬼にあらじ。鬼百合鬼薊に言ふ鬼の如し。後世付会の説をなすのみ』。
鬼切・鬼丸まで俎上にあげられていました。中国の「鬼」は死者の彷徨する魂で、鬼すべてが悪妖ではない、なのですが。
|
[返信]
[修正]
[削除]
|