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江戸時代初期の京都の儒学者黒川道祐の随筆『遠碧軒記』(延宝三年1675ごろ、出版は宝暦六年1758)に当時の刀剣の噂が出ています。要約してみます。
○ 宮中には天国作の壺切の御太刀がある。いつの頃か婚礼の儀式で近衛殿に貸し出されそのままになっていたが主上御病の時召し返された。 ○ 日本の刀鍛冶の始めはこの天国でこれ以前の刀鍛冶はいない。大同年間の人である。 ○ それ以前のものは剣の姿であったか。 ○ 半井家に和気清麻呂が宇佐八幡より拝領という奇妙な刀があり、本阿弥光甫によると唐の剣だという。 ○公方昌山には「二つ銘」、「粟田口国綱の鬼丸」、「大傳太光世」の三宝剣があり、豊臣秀吉に献上させられた。いま二つ銘は愛宕神社、鬼丸は加賀前田家にある。大傳太は本阿弥より旧主に返された。 ○ 小鍛冶は一条院の時代である。 ○ 東福門院ご葬儀に用いた雲生の太刀は後に泉涌寺より返却された。
この他神足、雲次などの名も見えますが、実見したのではなく巷間の噂のようです。江戸時代初期の文人の刀剣への関心と知識はうかがえます。
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