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世界文化遺産の国宝・重文が多くある京都市ですが、市街地には意外と古い建築はありません。大都市の例で火災が多く、「この前の戦争」応仁の乱(1467-77)以後も「焼失面積では応仁の乱以上」という「天文法華の乱」(1536)、江戸時代の数回の大火、幕末の「蛤御門の変」による「ドンドン焼け」(1864)などで失われてしまったのです。
その中で奇跡的に残ったのが上京区の大報恩寺本堂で、通称千本釈迦堂、国宝建築で、鎌倉時代貞応年間(1222-24)ごろの建築、快慶作の釈迦如来像、十大弟子像などの仏像も多く残されています。
この本堂は内陣を拝観できますが、多数の円柱に矢の当たった跡の穴、刀で斬りつけた傷が多数のこっています。千本通りの東、堀川今出川あたりが応仁の乱の西陣、山名宗全邸跡、その更に東が細川勝元の拠った室町幕府跡で、度重なる応仁の乱の激戦によるものと伝えています。文化財見学会でご案内の先生方から、「人間の頭から心臓の高さに矢跡、刀傷が集中している」「応仁の乱のころから一般化してきた槍の傷もある」とご教示いただきました。
京都には東福寺や建仁寺などにも矢傷のある門があり、平氏の館の門、六波羅探題の門などと伝えております。京都御苑の蛤御門は鉄炮傷で有名ですが、古い戦争の痕跡にも注意したい物です。
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