|
今年は3月21日春分の日、春彼岸の中日に東京に雪が降りました。
3月中旬の雪は珍しいのですが1860年には3月24日に雪が降っています。旧暦でいうと万延元年三月三日。「天誅!と烈士が言ったから三月三日は桜田記念日」の桜田門外の変があった日です。前夜からの春の淡雪で事件当日は曇り、映画・演劇のような「落花紛々雪紛々」ではなかったらしいですが。
彦根藩はこの時暗殺された大老井伊直弼以外に警護の武士は即死4人、重傷のち死亡4人、負傷し引責自決となったもの、逃げて彦根藩に処刑されたものまで多数の死者、攻撃側も即死1人、負傷して自決、自首して斬罪など18人のうち明治まで存命できたのは2人だけと記録されています。
この事件で徳川幕府の親衛隊、戦闘力第一と称していた彦根井伊家は藩主を暗殺されて、威信は地に落ちます。そしてそれまで武闘を控えていた勤王・佐幕の争いが凄惨な幕末の死闘に至る発火点となりました。
注意したいのは作戦開始の合図に井伊大老の駕籠がピストルで狙撃され、それがほぼ致命傷だったのにその後は双方刀での斬り合い、大老は斬首、と事件の主要武器は刀だったことです。近代的な洋式銃による戦闘になるのは戊辰戦争の頃までかかった様です。
|
[返信]
[修正]
[削除]
|