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新年おめでとうございます。
有感 副島種臣 金華松島奥東頭。自古風雲向北愁。 日本中央碑字在。如今靺鞨属何州。
明治の外交官副島種臣(1828-1905)の作。日清日露戦争前後の風雲急を告げる中での宮城県多賀城市にある現重文「多賀城碑」を詠じた漢詩です。
金華、松島、奥東の頭(とう)。古(いにしへ)より風雲、北に向かって愁ふ。 日本中央の碑字あり。如今(ただいま)靺鞨、何州に属するぞ。
「日本中央碑」とは坂上田村麻呂が蝦夷を鎮圧後、奥州に「日本中央」と刻んだ碑を立てた「壺の碑(つぼのいしぶみ)」と言う歌枕の伝承に基づき、碑文に「靺鞨国界を去ること三千里」とある靺鞨(現ロシア沿海州)は今どこの国に属するか、と祖国の将来を案じています。
江戸時代に多賀城の碑が知られると、東北開拓の中心地陸奥国府・鎮守府の地にある奈良時代の碑と言うので、この碑が「壺の碑」だとされ、芭蕉の『奥の細道』にも記録されています。
明治になると「歌枕の壺の碑は田村麻呂の活躍した平安初期のもので多賀城碑はそれより古い、碑文に誤りがある・・・」などと、歌枕の碑と違う、のみならず偽作説まで出たのですが、この「靺鞨国」も「碑の立てられた当時は既に滅び渤海国となっていた」、と偽作説の根拠になっていました。
今も続く北からの国難、日本は乗り切ることができるのでしょうか。
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