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京都の民俗を調査された井上頼寿氏の『京都民俗志』(初版昭和8年、東洋文庫で再刊)を読んでいましたら蜈蚣(ムカデ)の民俗例の終わりに 「右京区妙心寺に蔵する棄君の宝剣は元俵藤太秀郷が三上山の蜈蚣を退治した時の鏃であった。それを子孫蒲生氏が宝剣として伝えていたのを氏郷のとき秀吉に献じた。 さて献じてしまうと同氏は年を逐うて衰えたと『都林泉名所図会』に見える」 とあります。
豊臣秀吉の子で幼くして死んだ棄丸君の宝剣は倶利迦羅龍守刀で両刃の短剣、銘は備前福岡一文字派の「尚宗」で、鏃の作り直しという姿ではありません。
蒲生氏と「秀郷蜈蚣退治の鏃を仕立て直した刀」の伝説は他にもあり。盛岡藩主南部利直の妻於武の方が蒲生家から輿入れの時の守り刀、没後墓に蜈蚣が群れるなど怪異があった、と伝えます。
京都の町衆は「伝家の宝刀は天下様に頼まれても献上するな。家が傾く」という考えだったのでしょう。名刀の海外流出の話を聞くと思い出します。
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