|
昨令和元年、京都秋の非公開文化財特別公開のメモを見ていましたら蘆山寺(ろさんじ)で「伝、明智光秀念持仏」という地蔵菩薩像が公開されていました。
岩山の上の蓮台に僧衣をまとい、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ普通の地蔵菩薩像ですが、向かって右に不動明王、左に右手を腰に当て左手に鉾をもつ毘沙門天がいました。
地蔵菩薩の脇侍は『延命地蔵経』に「掌善、掌悪の二童子」とあり、不動と毘沙門が脇侍とはありません。この配置は愛宕権現の本 地仏「勝軍地蔵」のものです。
室町時代に武将の信仰が篤かった勝軍地蔵は僧衣の下に甲冑をまとい、兜をかぶり、白馬に乗り、不動・毘沙門を左右に従える姿で表わされますが、僧形のままで勝軍地蔵として扱われる例もあるのだなと思いました。確かに光秀は愛宕山への信仰が深い武将でした。
地方寺院に「戦国武将の念持仏」とされている地蔵菩薩像がある場合も、本来不動・毘沙門が付属していなかったか再検討の必要があるのではと思いました。
|
[返信]
[修正]
[削除]
|